13.11.10(日) 北総鉄道問題を考える(4) / 祝・秋山柏市長、再選!

 7:39、強い地震の揺れに驚く。 気象庁によると震源地は茨城県南部、震源の深さは約70Km、地震の規模はmagnitude5.5、印西市は震度4だった。 本県における被害の報告はない。
 新聞報道によると、猛烈な台風30号が直撃したフィリピンで甚大な被害が発生。 ロイター通信などは、中部レイテ島で犠牲者が1万人にのぼる見通しと伝えた。 多くが水死や倒壊建物による圧死だという。 日本政府としても被害状況に関する情報収集を行い、必要な救助活動や支援の手を差し伸べなければならない。 国境を越え、困った時は御互い様の心で臨んでほしいと思う。
 午前、政務で地元市内を廻る。 午後、千葉ニュータウン方面で「県議会リポート・19号」のポスティング活動。 19時半、印西を出て柏へ向かう。
 夜、柏市長選挙・秋山ひろやす候補事務所に出向く。 22時、秋山ひろやす氏当選確実の報が入る。 祝勝会で万歳三唱、御本人と祝福の握手を交わす。 22:15、柏を出て印西へ。
 23時、帰宅。 入浴後、読書して就寝。

           北総鉄道運賃問題を考える(4)】
 11/4付のシリーズ(3)で、ほぼ私の現状認識及び基本的な考え方は書いた。 10/21付(1)、同27付(2)も併せて御読み頂ければ幸甚だ。 で、この間は北総鉄道に関する報道等もなかったので、状況は変化なしと思われる。 ただ、新聞報道や私の県議会リポート、本ブログを御覧になった多くの方々から実に大きな反響があった。 特に、千葉ニュータウン方面の北総線利用者からは電☎話やメール、Facebook等々で御問合せや御意見が寄せられてきた。 私としても時間の許す限り、新聞等の公開情報を元に状況の丁寧な説明を心掛けた。 やはり、現在受益されている鉄道利用者を中心に御心配の声が圧倒的だった。
 客観的に申上げて県議としての私、滝田敏幸は現在、交渉に関与するような直接的プレイヤーとなっていない。 県議会一般質問で、北総鉄道問題に関する千葉県の現状認識について質問を行い、後はブログでこの問題に関する私の考え方について書いただけである。 にも拘らず、私が仄聞するところ、「滝田は県の手先」という珍説と出会った。 これまでも、「京成の手先」というレッテル貼りはあったが余程噂の好きな方がいるようだ。
 そもそも、この問題で県は現時点における直接的プレイヤー(交渉当事者)とはなっていない。 何度も繰り返すが、北対協(白井・印西2市で構成)のシンクタンクによる「補助金なしでの値下可能」との見解と北総鉄道側の「補助金なければ元の運賃水準にもどす」という主張が相反している状態となっている。 分かりやすく言えば、北総と北対協(2市)だけが直接的プレイヤーとなっている。 よって、現在の地元スキームを構成する県や他の沿線4市は交渉のテーブルに付いていない。
 私は3度のブログ記事で申上げた通り07~09年度にかけて、この5年間(10〜14年度)の公的支援(補助金)のスキーム作りに政治的に関与したことは事実として認める。 結果は納得のいく数字ではなかったが、ギリギリの交渉であったと思っている。 ハッキリ申上げて、京成を憎らしく思ったのも事実である。 もちろん、結果は結果だ。 結果に対する政治責任、説明責任を果たしていく覚悟もある。 だが、何ゆえ、「県の手先」とか「京成の手先」といったレッテル貼りがなされるか意味がサッパリ分からない。
 今回も、直接的交渉当事者となっている北対協(2市)と北総の主張が相反したことを受け、交渉の枠組を維持することが大前提と申上げているに過ぎない。 別の言い方をすれば、地元スキーム(県+6市)を保守することが、補助金の期限や新たな値下交渉の前提となる。
 上記の論理の一体どこが、「京成の手先」、「県の手先」なのか、客観的証拠と根拠を示してほしいくらいだ。 書き過ぎになるが、正直に申し上げる。 私は京成電鉄の人間と接触したことは一度もないし、千葉県から何かを依頼されたことも一切ない。 いや、私からは県に対し10/27付(2)ブログでも記した通り、< ・・・2市と北総の主張が対立し、折り合いが付かなくなった場合、最終的には千葉県が沿線6市と北総鉄道による協議の場で「調停者」の役割を受け持つべき > との意見具申を Web 上で行っているが。
 私は、最悪の結果は運賃が元の水準に戻ることと認識している。 何としても北総鉄道利用者にこれ以上の不利益が生じてはならないと考える。ゆえに、しいて言うならば、私は < 北総鉄道利用者の手先 > であり同時に、地元印西市の財政負担を少なくすることを第一に考えているつもりだ。

 歴史は反復する。 だから、関係を類比的に考えることが大事と10/21付ブログで書いた。 で、私は先日、視察で熊本を訪れた。 ホテルの窓から熊本城を見ながらしみじみ思った。 司馬遼太郎は「 翔ぶが如く(八)」(81頁)で書いている。
< ・・・ 西郷と薩軍の作戦案は、いかなる時代のどのような戦史にもないほど、外界を自分たちに都合よく解釈する点で幼児のように無邪気で幻想的で、とうてい一人前の大人の集まりのようではなかった。・・・> と。
 
 NHK取材班・編 「 ワーキングプア 解決への道 」(ポプラ社・1,200円)を読む。
by takinowa | 2013-11-10 23:33


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