08.08.15(金) 敗戦の日 / 送り盆

 本日は、63回目の敗戦の日。例年通り、閣僚や国会議員の靖国神社公式参拝がニュースとなる。 日本人として当然のことをして、なぜニュースになるのか。全く以って不思議である。国家が英霊を追悼し顕彰するのは、国際スタンダードから見て常識であり、責務である。いくら中国や韓国が経済的なお客さんだとしても、近代国家の根幹に関わることを譲ってはならない。マスコミの報道姿勢にも、大いに問題がある。
 毎日新聞に気になる報道があった。14日、韓国政府はシンクタンク 「独島研究所」 を発足させ、国際機関や各国政府に対し強力なロビーイングを展開するという。呆れるほど身勝手な主張を、何度も繰り返すつもりらしい。一体、政府外務省は、何をやっているのか。拉致も領土も国家主権の侵害である。もちろん、ナショナリズムの過熱が民族排外主義に陥ることは、絶対に避けねばならない。しかしながら、外交には毅然とした態度が必要だ。竹島の不法占拠=実効支配を強化しておきながら、他国の教科書指導要領解説書に文句を付け、駐日大使を本国に引き揚げるなどとは言語道断・失礼至極である。
 夕方、兄弟、親戚が集まり、21時に新盆の送り。これで、一つの区切りがついたような気がした。少々、ホッとする。新盆の御見舞に来ていただいた多くの皆様に、心から感謝。
 お盆は日本を代表する慣習=文化であろう。この時季、日本人は皆、多かれ少なかれ死を意識する。と同時に過去を振り返る。自分の場合、亡くなった両親はもとより、お参り先で線香をあげる度に故人の想い出が蘇える。その都度、人の世の儚(はかな)さや栄枯盛衰、ものの哀れといった「わび・さび」を感じる。藤原正彦教授の言う「日本的情緒」なのかも知れない。また、子供の頃のプール、高校野球(銚子商)、夏休みの友、スイカ、とうもろこし・・・といったことも想いだす。歌では吉田拓郎の「夏休み」と井上陽水「少年時代」がいい。胸がキュンとする。時の経つのは早い。人生は有限であり、かつ無常である。「死に向かって生きる」という逆説的意志の中で、はじめて生に価値が宿るのではないかと思う、今日この頃である。
by takinowa | 2008-08-15 22:11


<< 08.08.16(土) 小林牧... 08.08.14 (木) 北島... >>