17.11.15(水) 一般質問準備のため千葉県からヒアリング

 小池百合子・希望党代表辞任と葛飾区議選・都民ファースト惨敗の報道がメディアを賑わしている。
 暫く経てば、ほとんどの人々が忘れるようなニュースであり、情勢論と云うよりも床屋談義のレベルにも達していない。で、最近感じることは、政治の理念も哲学もなく、その時々の風を読み「ファースト」や「希望」「維新」などブームの新党に群がり、あるいは「無党派」を名乗り選挙に出馬する傾向についてだ。イメージとしては株価の相場観に近い。
 そういう方々は実際、口達者で多くの有権者には「政策通」の候補に見えるらしい。一流大学卒業や華麗なキャリアなど「肩書」はそれなりに立派な衣(ころも)だし、マスコミで取り上げられる話題についても、(教養の裏付けはないものの)SNS等で尤もらしい・タイムリーな情報発信が得意なのだろう。しかしながら、それ自体、政治と云うよりも選挙技法に関する極めてテクニカル(技術的)な話に過ぎない。もっと云えば、中長期的に政治を動かすことや現実に影響を及ぼすことはない。
 で、その手の方々(新党や無党派系)は、政党に対し「柵(しがらみ)」や「組織」と云うレッテル貼りの印象操作(Impression operation)が得意である。まあ、どうぞ御自由にと云う話に過ぎない。
 ただ、ハッキリと申し上げたいのは、同じ政党に所属していても、政策の優先順位については政治家一人一人の価値観に基づき千差万別ということだ。少なくとも、ちば自民党はそうだと断言できる。要は限りある財源で、政策を実現するには予算化が必要不可欠であり、そのためには同じ政党の中でまずは同志を増やしていくことが最低条件となる。よって時には、信頼関係を醸成する中で譲り合うこともあるし、折り合いを付けることもある。
 ここ二十年程の政治状況についてだが、国から地方まで全政治家が「改革」の旗手となるべく、獰猛なまでの自己愛と上昇志向をもって抽象的な主張を繰り返す様は尋常ではない。(中川秀直元自民党幹事長などは「これからは政党に関わりなく改革競争の時代だ」とまで言っていた) こういった傾向は1990年代前半に冷戦が終結し、哲学や思想を全くスルーして政治の世界に参入する者が増加していることの証左でもある。そして、ポストモダンから新自由主義へと社会の支配的空気も変遷していく中、当然、政治家も存在論的思考から情勢論的思考へと時流に流されていくのだ。結果として、発言と行動の著しい乖離に無頓着、無責任な言動、右バネの思考停止状態の主張をしても平気でいられる政治家が増殖するのである。
 乱暴な言い方だが、新自由主義的発想の根本は損得勘定だ。もっと云えば「剥き出しの欲望」と言い換えてもいい。この政治的新自由主義のドタバタ劇場が約2か月間、この国で繰り広げられた。「希望」から「欲望」➡「野望」さらに「失望」➡「絶望」と云う茶番となった次第である。

 午前、事務所で仕事。
 11時半、印西を出て県庁へ向かう。
 13時~15時、県議会一般質問準備のためのヒアリング。
 15時半、千葉を出て印西へ。
 17時、事務所にもどり仕事。
 20時半、帰宅。夜、読書。御終い
by takinowa | 2017-11-15 22:14


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